top of page

自由律俳句の系譜

自由律俳句の系譜             令和4年4月30日

                            

 

                   

俳句の系譜のあらまし・・・自由律系の俳句を中心に   佐瀬風井梧

 

 

 俳諧の基礎として起こった狂連歌は、連歌の形式に依り滑稽機知を弄した物でした。普通の連歌に携わる者を「柿のもとの衆」といい滑稽機知を弄する者を「栗のもとの衆」といいました。連歌はもともと遊戯文学、狂連歌(俳諧)は、更にこれに滑稽の要素を加味したものでした。狂連歌は、純文学から更に遠くなりましたが、その狂連歌にも取るべきところがありました。それは、式目に拘泥せず、自在にその言わんとする所を表現したことです。この事が将来に向かっての俳諧の変化と発展の運命を有することになります。

 連歌を離れて発句のみを詠ずるようになったのは、いつからか明らかではありません。俳諧を連歌の発句の5・7・5から独立させたのは、山崎宗鑑でした。宗鑑の拓いた俳諧は滑稽諧謔を主としたものですが、言わんとすることを言い、拘束も何等無く、使用言語も格式を踏まず、俗語を用いたり、自在でした。また荒木田守武は、宗鑑の先導はありましたが、俳諧連歌は純正なるもの「俳諧とて、みだりにし、笑わせんとばかりはいかん。花実をそなえ、風流にしてしかも一句正しく、さておかしからんを要する。」としました。 一方松尾芭蕉や上島鬼貫は更に言い進め、俳諧は滑稽機知を競うのではなく、「風雅の誠」を求める「正風」を説き、俳諧の革新をはかりました。しかし、その俳諧も時代を経るにつれ江戸の末期には月並みに陥っていました。

 明治に入り、正岡子規は芭蕉や蕪村の俳諧の研究をすすめ、俳諧のその月並みを排するため「写生」の大切さを説き、俳諧を俳句と改め、俳句の近代化をはかりました。その子規門から、高浜虚子は俳句を「花鳥諷詠の詩」とし定型の俳句を説き、一方、河東碧悟桐や大須賀乙字等は、従来の俳句の決まりごとを排し革新の方向性の新傾向俳句を進めました。新傾向俳句では俳句の改革はまだ不十分・中途半端と考え、荻原井泉水は明治末期に結社「層雲」を立ち上げ、また中塚一碧樓は河東碧悟桐の「海紅」を引き継ぎ、新傾向俳句を自由律俳句にまで進めました。

 その他にも萩原蘿月は感激主義を主張、それを引き継ぎ内田南草は「感動律」を、また、吉岡禅寺洞は口語・自由・無季の自由律俳句を唱え「天の川」を主宰、静岡の田中波月、田中陽は人間的発想を現代語でと主張し「主流」を立ち上げました。

 第二次世界大戦戦中自由律系の俳句は一つの集団にまとまられ(日本および日本人)ましたが、戦後再び各派に分かれ、更に分裂してゆきました。

 荻原井泉水の「層雲」では、俳句と詩についての意見の相違から池原魚眠洞が「視界」を発行し独立。井泉水没後、「層雲」は同人誌として17年ほど続きましたが、やがて編集方針の対立により終刊、「随雲(渡野辺朴愁、数年後「層雲」に改称)」と「層雲自由律(伊藤完吾)」に分れました。随雲は、北田傀子が「自由律俳句が乱れている、俳句は大和言葉の韻文である」との主張から「草原」を立ち上げ独立しました。随雲は「層雲」と改称、その後、各支部グループが独立の形で分れ今日に到っています。

 中塚一碧樓の「海紅」は、「海紅」と「青い地球」に分かれ、一碧樓亡き後しばらく中断、その後中塚檀により「海紅」が再興されます。

 また新たな、動きもありました。

 平成22年、「海紅」の中塚唯人を中心として東京中心の自由律俳句会が集り「東京自由律俳句会(東京)(後に「東京自由律俳句フォーラム」と改称)が結成されます。またその翌年、富永鳩山を中心とする自由律俳句、一行詩、そして川柳を一同に集めた「自由律句のひろば」が結成されます。しかしその後解散。「自由律句のひろば」の運動の意思を継承した「自由律俳句協会」が新たに結成されます。

 

 

 

現在活動している自由律俳句結社及びグループ

 現在活動している下記自由律系結社、グループで、掲載されてない会がかなりの数があると考えられます。またこの頁でいう師系という言葉では馴染まない団体もあります。強引な部分もありますが、自由律系俳句の流れを容易にするため師系という形をとり分類しました。現在の正確な結社・グループの情報を知っていただくため、誤記も含め今後も更に改めてゆく必要があると考えています。ご協力頂ければ幸いです。(佐瀬風井梧記)

 

主な参考文献

日本俳諧史 秋旻 求光閣書店 明治45年4月

改造社版俳句講座「俳論俳文篇」第4巻 改造社 昭和7年10月

虚子俳話        高濱虚子 東都書房 昭和33年2月

虚子俳話(続)  高濱虚子         東都書房 昭和35年4月

 

 

 

現在活動している各会(自由律俳句会、自由律句会や俳句グループ)を大まかな師系をたどり、あげてみました。

 

〇師系 荻原井泉水

層雲(東京・安田十一)

東京句会(東京・安田十一)、層雲かながわ句会(秦野・大岳次郎)、浜松山頭火の会(浜松・源次郎)、槙の会(浜北・木俣史郎)、山並みの会(長野・宮島周水)、青穂(大阪・小山貴子)花野句会(仙台・加藤邪呑)、ぎんなん(東京)、九官鳥の会(秦野・井上敬雄)、ももの会(静岡・内藤邦生)松の会(浜松・松尾尚子)、茉莉花(浜松・ちばつゆこ)、城の会(名古屋・伊藤清雄)、泉の会(宇治・久次縮酔)、エトレ句会(大阪・小山貴子)、木瓜の蕾の会(香川)、きやらぼく(倉吉・三好利幸)、周防一夜会(山口・久光良一)、路の会(大分・河野初恵)、層雲自由律(鎌倉・伊藤完吾)、常磐ネット(水戸・松岡月虹舎)、周防一夜会(山口・久光良一)

 

 

〇師系 中塚一碧樓 

海紅(東京・中塚唯人)、かみなり社句会(宇都宮) 、阿良野句会(浜松・渥美ゆかり)、赤壺詩社会(岡山・岡本弘)、しらさぎ句会(東京)、海紅ネット句会「俳三昧」

 

 

〇師系 中塚一碧樓、岡涓二

青い地球社句会(長野・中村加津彦)、稲穂吟社(秋田・小野芳果)、梶の葉会(長野・中村加津彦)、眉句会(東京・伊東佐久)、槙の葉俳句会(川崎・紫苑恵)、地獄谷句会(富山)、はまゆう吟社(和歌山・南野清)、赤壺詩社(岡山・岡本弘)、宮崎句会(宮崎・後藤泰号)

 

 

〇師系 吉岡禅寺洞

主流(静岡・田中陽)、あまのがわ(大分・裏文子)、新墾(福岡・泉喜代子)、舵輪(山口・木下友敬)、形象(鹿児島・高岡修)、天街(鹿児島・野間口千賀)

 

 

〇師系 大須賀乙字

獺祭(神奈川・西岡正保)、海丘(丸山風人)、あざみ(河野多希女)、出雲(栗原稜歩浮巣(埼玉・天休翼)

 

 

〇師系 沼波瓊音

 

 

〇師系 臼田亜浪

虎杖(相原左議長)

蟻乃塔(塩田藪柑子)

 

 

〇師系 富永鳩山

群妙(山口・富永鳩山)

 

〇師系 日野草城

青群(伊丹啓子)、藍(大阪・花谷清)、日時計(大阪・坪内捻典)、いき(京都・伊藤哲英)

 

〇師系 原石鼎

鹿火屋(神奈川・原 節子)

 

〇師系 夏石番矢

 吟遊(埼玉・夏石番矢)

   

 その他、サザンカネット句会(東京)、新宿に北大路翼の屍派句会、京都の北大路京介。現代のネット句会では、「ア・ぽろん」、「千本ノック」、通信句会の「百舌」(さいとうこう)、山口県の「自由律句会 幸せます」、さらに自由律俳句+定型俳句もある「ネット句会Q」、「童心の会」(京都・金澤ひろあき)、「疾風屋同人」(福岡・谷 郷氏)、「自由俳句の会」(東京・殿岡駿星)、あるいは、「週刊俳句」などがあります。自己流の、あるいは日々の想いを書き綴る「つぶやき」を個人のブログにしたものも、多くのサイトがあります。

bottom of page