自由律俳句の系譜

そねだゆ

歴史的には、主に江戸時代に栄えた「連歌」が、そしてその連歌から「俳諧」
生まれました。つまり連歌は、「発句」という初句が「5・7・5」である所か
ら、この発句が独立し、元々俳諧とは、滑稽とか戯れという意味があり、機知を
競うものでしたが、その発句だけを独立させて、俳諧が滑稽機知を競うのに対し
て、自然の理を発見するという松尾芭蕉や上島鬼貫が同時期に発見した「風雅の
誠」により、俳諧の文学化が始まりました。明治になり、正岡子規が、芭蕉や蕪
村の俳句の研究から自然の「写生」という「取材」の重要性を追求します。こゝ
から高浜虚子の定型俳句の方向が定まり、一方では、河東碧悟桐が新傾向俳句と
いう従来の俳句の決まりごとを排した新しい俳句の文学化を示し ました。
 この後、明治末に荻原井泉水が結社「層雲」を立ち上げます。また碧悟桐は
「海紅」を立ち上げましたが、後に中塚一碧樓に「海紅」をゆずります。その他
にも荻原蘿月の「感動律」を提唱し、(後に口語俳句になる)、現白ゆり句会と
なっています。また、福岡の吉岡禅寺洞が、初めは虚子派で「天の川」を主宰し
ましたが、やがて無季や口語自由律を唱え新俳句運動を始め、九州で自由律俳句
の拠点の一つになりました。また静岡の田中陽は「主流」で人間的発想を現代語
でと主張しました。荻原井泉水が始めた「層雲」は、井泉水没後、「随雲」と名
を変えて数年続きましたが、荻原家の了承を得て「層雲」の名を正式に引き継ぎ
ました。
 しかし、内部での意見の違いにより、伊藤完吾の「層雲自由律」が独立しまし
た。さらに後に新しい「層雲」の方は、内部で意見の対立があり、大阪の「青
穂」が分かれそれぞれに全国的に会員を持ちます。また、初めは神奈川を中心と
しましたが、現在は全国にネット会員のある北田傀子の「草原」は、北田傀師の
自由律俳句の結社として、層雲とたもとを分かち、自由律俳句を随時の感銘を句
にするという随句の概念を主張します。さらに「層雲」の有為の数人が東京を中
心として全国をカバーする「ぎんなん」という、自由律俳句を極めようとするグ
ループがあります。その他の層雲系としては、鳥取の層雲支部の「きやらぼく」
や東京の「泉の会」、仙台には、「花野句会」、名古屋の「城の会 」、「萌」、
静岡の「桃の会」、浜松の「松の会」や全国に会員を持つ「茉莉花」がありま
す。
 戦争中は、自由律俳句結社は、一つにまとめるべきとのお達しに「俳句日本」
に統合されましたが、戦後の層雲では、まず池原魚眠洞系の「平野」が独立、
(後に「視界」となる)、最近では大阪の「エトレ句会」、東京の海紅系の「し
らさぎ句会」、層雲支部の「泉の会」、「眉」、倉敷の「赤壺詩社」、宇都宮の
「かみなり社句会」、「阿良野句会」、大分の「紅波」、兵庫の「でんでん虫の
会」、山口の「周府一夜会」や「群妙」、その他各地に自由律俳句系の句会があ
ります。
 また、一碧樓の影響があると言われる岡涓二の「?火」そして「青い地球」に
は「赤壺」や吉岡禅寺洞の「形象」があります。
 吉岡禅寺洞は碧悟桐の「日本」に投稿していましたが、「天の川」を創刊し無
季俳句で口語俳句での「自然律」を主張しました。さらに青木比呂から引き継い
だ重富架光、その没後引き継いだ佳代子夫人の「新墾」などが活躍しています。
 また、東京新宿に北大路京介の「屍派」とするアングラ句会などがあります。
 昭和19年に戦時中に自由律ではないだろうと各結社は、「俳句日本」に統合さ
れましたが、今、自由律俳句の発展のために、小異は捨てて大同に付く自由律協
会設立の動きがあります。
 現代のネット句会では、今はお休みの「鉄塊」、そして「ア・ぽろん」、「千
本ノック」、さらに自由律俳句+定型俳句もある「ネット句会Q」、あるいは、
「週刊俳句」などがありますが、一般傾向として、自己流の、あるいは日々の想
いを書き綴る「つぶやき(一行詩・俳句)」を個人のブログに載せる多くのサイ
トがあります。
  
 参考図書
 1)角川書店発行「俳句」平成17年12月号特集『俳句』700号記念保存版
 2)上田都史著『自由律俳句とは何か』講談社1991年1月20日発行
 3)西垣卍禅子遍『自由律俳句文学史』新俳句社1960年5月20日発行

メールアドレス

© 2018 by 自由律俳句協会.

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now