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佐瀬広隆

自由律俳句とは

いま改めて「自由律俳句」とは

 自由律俳句では、決まった形式はありません。「俳句は一つの段落をもっている一行の詩である」と荻原井泉水は述べています。この程度のゆるやかな枠組みの中で、得た感動や印象を物に託し言葉の響き合う表現の一行にします。自らの感性に尋ね、素直な自己と向き合います。そして素直に言葉を紡ぎ出す、こうした自己との向き合いがなければ、自由な枠組みの中で自己の感動の素直なリズムは生まれてきようがありません。
 物に託して思いや印象を率直に無駄のない、自らのリズムで一つの段落のある一行にまとめる、これが自由律俳句です。

歴史をふり返れば

 自由律俳句は特別な俳句ではありません。松尾芭蕉以来の伝統と精神を受け継いでいる俳句です。近代では、月並みと言われる俳諧を、近代の写生を取り入れ俳句と革新した正岡子規からはじまり、俳句を芸術にまで高めていった先人の俳句の歴史があります。
 俳句は大きく二つの潮流があります。各々の立場を鮮明にして切磋琢磨し、現代の俳句にいたっています。潮流の二つを大雑把に云えば、俳句は詩であるとし、詩的感動を重視することで生ずる、形式的枠組みや季題の弊害を排除していった自由律俳句と、保守を殉じ伝統的俳句美学の花鳥諷詠と五七五の枠組を守っている定型俳句の二つです。歴史は、不幸にも互いの流れを排除する方向に働きました。衆を集めた定型俳句の人々は、「自由律俳句は一行詩であり、俳句ではない」と俳界からの排除を主張してきました。雑誌、新聞、マスコミでもそのほとんどが定型俳句を取り上げ、現在でも自由律俳句の記事の比率は極めて小さいものです。しかし、現代の風潮が、種田山頭火、尾崎放哉の自由律俳句を浮かび上がらせ、自由律俳句が俳句としての市民権を得てきています。また、ドラマの端々に二人の俳句が取り上げられ、最近は住宅顕信も知られてきました。
 定型俳人の金子兜太氏が朝日新聞へ「井泉水さんのこと―虚子と並立する俳句史の峯」の題で寄稿した追悼文の中で「虚子は大勢を集めて量の主となり、井泉水さんは量に恵まれなかったが質の主となった」と述べています。
 季題によって作られてきた旧来の定型俳句が詩としての俳句を取り入れる事によって、旧態を脱し現代俳句に辿るに至ったことをを考えれば、定型俳句に自由律俳句が大きな影響を与えているかと思います。一方、自由律俳句は自己の感性に任され自由に作句されます。決められた枠がゆるすぎる弊害から、自由律俳句は自分勝手の自己満足、説明がちの散文の一行に陥りやすい、これには、俳句が韻文であることの戒めが必要です。
 俳句の表現は、説明によるのではなく、言葉の響き合いによる表現です。今後も二つの俳句の大きな潮流が、それぞれの独自の俳句感性を維持し進化させながら、月並みに堕してゆくことを封じてゆくものと信じてやみません。

自由律俳句を始めてみませんか

 自由律俳句は、その一行が俳句かどうかより、その一行に、自己が出ているかどうかというほうが先です。定型俳句は、それがどうであれ、季語を含むと五七五の十七文字であれば、俳句といえるものになっていて、俳句かどうかを悩む必要がありません。それ故、定型のほうが解りやすく、自由律は難しいと思われています。
 はたしてそうでしょうか。
 表現するというのに、ただ文字をならべたり当てはめたりする事で満足する人はいません。思いや感動を伝えたいために文や、詩や俳句短歌にしようとするわけです。
 このように素直に考えれば、規則の枠に縛られた一行より、思いを述べた自由な一行の方が、入り口は易しいということにならないでしょうか。

 

 最初は、俳句かどうかなど考えずに、とにかく思いの一行を書いてみます。そして自分の感性に尋ね、そこに無駄な言葉がないか、素直な表現になっているかをを検証してゆきます。まずは一番の理解者である自分が、今はこれで好しとしたら、それは立派な自由律俳句作品です。それが、他の人の共感を得るものであれば、作者の手を離れて立派な自由律俳句作品となります。
 上手な俳句にしたい、他の人に褒められたいとの気持ちに囚われると、頭を使い自己の気持ちにそぐわない句に仕立て上げることになってゆきます。これは自由律俳句では嫌います。上手下手にかかわらず、己の一句(一人一境)です。自らに向き合い己のの心に問うことこそが一番肝要です。
 こうして、自分の句を多作してください。たくさん句を書いてゆくうちに、俳句の心が磨かれ、すっきりした表現に変貌してゆきます。取り上げる素材が同じようなものであっても日々新たな俳句になります。

 

 ここで、過去そして現在、幾つかの別々の素材からの自由律俳句作品を取り上げてみます。層雲の主な作家、素材の異なる長短の句そして、現代の特徴的な句を最後に加えて紹介してみます。
 まず最初は荻原井泉水の俳句です。
 新傾向俳句から自由律俳句層雲へ、井泉水が碧梧桐を離れ一人、己の俳句の道を進み始めていた頃です。月に自らの心の内を託しました。

 

    空をあゆむ朗々と月ひとり

 

 俳句ができるようになってくると、句作が難しくなってゆきます。楽しく作っていた俳句がそうではなくなって、俳句の奥深さにつきあたり、苦しみます。それを乗り越えて更に奥へ進んでゆく、そうした俳句の道のりを、井泉水はふりかえります。

 

      ででむし長い細い道を歩みきし歩みをとどめ

 

 こうした句作の道程を経ると、手放すことができない俳句の道の醍醐味を知ることになると思います。
ある雪ふりの日、旅館に滞在し、ふる雪を

 

      わらやふるゆきつもる

 

 藁家は今では古民家ですが、何気ない、雪深い里の情景が軽いタッチで描かれている句です。放哉はこの句を褒め「“わが夜の雪ふりつもる”はアンタのまねをシタのだが……ドウもくさい……矢張り「藁家」は動きませんな。読めば読む程コタエテ来ますね。(「大空」161頁 放哉から師、井泉水宛の“南郷庵より二月八日出しの手紙”抄出)。」と評しています。
 カッパの出そうな常陸浦へ句仲間と漕ぎ出でます。天心には月が、

 

   棹さして月のただ中

 

 井泉水は桜が大好きです。子の海一さんは父に見納めの桜を見せようと、父を背負って花見につれてゆきました。どんなに喜ばれたことかと思います。これは高遠での一句。

   花を花にきて花のなかに坐り

 

 去来する、妻や子、父母そして若くして自分よりも先に亡くなっていった人達のいのちへ井泉水の泪がひかります。

 

   かごからほたる一つ一つを星にする
   盆提灯を消す消えるばかりの

 

 闇にうごめく川水から明滅する光りを放ちながら螢が飛び立ちます。現実の肉体から、いのちの魂が離れるように。この句は実際に螢を観察してできたものではなく、作者が心の内を凝視して生まれた句と考えられます、井泉水の晩年の作です。

 

   ほたる、流れる水をはなれる

 

 次に、井泉水に綺羅星ののごとくと云わせしめた「層雲」の作家達です。
 大橋裸木は、結核で苦しみます。健康な時の句、そして病んだ時の句です。

 

   かえるの声の満月
   陽へ病む

 

 野村朱鱗洞は、井泉水自身が後継者と認めた才人でしたが、若くして亡くなりました。

   雲雀鳴き鳴き上がる浪音につつまれて

 

 小沢武二は、「層雲」の初代編集者です。行き方の違いから袂を分かつことになります。

      そらがめぶいている
      死に顔に化粧する紅がみあたらない

 

 尾崎放哉は、当時生命保険会社で、若くして支店長のエリート社員でしたが、組織や人間関係に馴染めず関東大地震を契機として世の無常を感じ、全てをなげうち出家します。晩年、小豆島で庵主さんとしてその生涯を閉じました。

   漬物桶に鹽ふれと母は産んだか
   せきをしてもひとり
   入れ物がない両手で受ける

 

 種田山頭火は幼少の頃、母の不幸な事件がありました。その記憶が成人してからもつきまといます。奇行にに走り、寺の住職に救われ、放浪の行乞の旅にでます。

 

      うしろすがたのしぐれてゆくか
      てふてふひらひらいらかをこえた

 

 沼尻陽三郎の句は、井泉水がこよなく愛した句でした。層雲の雑誌の井泉水選として残された句の数は僅かで、以下に記された句も、層雲大阪支部で出句された句でした。

   かげもめだか

 

 短律の俳句を称揚した中原紫童、北海道で校長を務めた七戸黙徒、宮沢賢治の友人で溺れた生徒を助けようとして命を落とした河本緑石、「層雲」中期には、長律の句を志向した平松星童の活躍がありました。

 

        まつかさそっくり火になる美しい時間をもつ   成之良(紫童)

 

        盗みする子の母親に椅子をすすめる            黙徒

 

        螢一つ二ついる闇へ子を失うている              緑石

 

        あひたいとだけびしょびしょのはがきがいちまい 美之(星童)

 

 そして現在、高田弄山、平岡久美子、内藤節子の作家から、現代の感覚で詠まれた特徴的な句作品を三句採り上げてみました。
 
        螢仮縫いの夜をほどく                           弄山

 

        イマジンを歌う若者の後ろから兵が出ていく        久美子  
 

        明日の米とぐアジアには幾万の女                  節子

 

  俳句は、それが定型であれ、自由律であれ、己に真剣な一行の表現であるが故に、それを共有し合えた仲間達との酒は格別なものと感じています。
 自由律俳句を始めてみませんか。

 

●引用文献
層雲第二四句集 荻原井泉水 層雲社 昭和28年11月1日
層雲第二八句集 荻原井泉水 層雲社 昭和33年11月1日
原泉      荻原井泉水 層雲社 昭和35年6月16日
層雲作品選第一 荻原井泉水 層雲社 昭和38年11月1日
長流      荻原井泉水 層雲社 昭和39年11月1日
四海      荻原井泉水 文化評論出版 昭和51年12月5日
草木塔     大山澄太  大耕舎 昭和41年2月11日
ぎんなん第二句集 ぎんなん編集部 ぎんなん 平成19年8月20日

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